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当事者研究編ノ第4回

皆様ごきげんよう、みっちゃんでございます。
さて、今回からは趣向を変えて仮想脳内物質ゲヘゲラーデンではなく、それ以外の、ああつまりは「記憶の結晶化」について記していきたいと思います。
 この「記憶の結晶化」という概念ですが、まず記憶があります。この記憶というものは定型者であれば時間とともに忘れられていく存在でございます。逆説的ではありますが、だからこそ人間は発狂せずに生きていられるのだと思います。
 では、この記憶という本来流れ去るものが結晶化し、脳に半永久的にとどまってしまってはどうなるか。いわゆる「トラウマ」というものになります。この場合、トラウマの本来の定義とは異なり、正の感情であっても「トラウマ」的発作を伴うものであれば、トラウマとして扱うことにします。無論、大抵は負の感情がトラウマになることが多く、もともとの研究がシェルショック、つまりは戦争に於ける神経症の研究から始まったものなので当たり前ではあるのですが。では、「正のトラウマ」とは一体どのような現象であるのか。いろいろと考えられますが、一般の定型者にわかりやすく解説するならば、前回同様宗教に当てはめて「信仰心」ではないかと思われます。誰が言ったかまでは覚えていませんが、「奇跡とは信仰の結果ではなく、切欠となるものである」。つまり、前回扱った「ゲヘゲラーデン」が多量に分泌された結果、その行為をすれば結晶化された記憶からゲヘゲラーデンが分泌され、結果として幸福になるため、故にその記憶はますます増幅される、といったことではないかと思います。無論、逆もまた真であり、というよりはそもそもその逆である「負のトラウマ」こそが本来の「トラウマ」と呼ばれている結晶なのではございますが、ではなぜ私が「正のトラウマ」を提唱するのか。なぜならば、本来脳機能というものは無記であり、正負という概念は人間に有用か否か、あるいは有害かといったことによって同じ現象が区別されているだけであり、どちらも同じ機序によって行われる電気信号であるからです。つまりは、「正のトラウマ」というものは「負のトラウマ」と同じ機序だからこそ、それを打ち消す可能性を持つということであり、脳回路の誘導次第によっては容易にトラウマ、所謂「負のトラウマ」から脱却が可能になるのではないか、と思ったからであります。即ち、「正のトラウマ」というものは、「負のトラウマ」を証明する上で、患者や被験者に負担を強いないで、同じ現象を作り上げることのできる絶好の実験方法だからであります。そして、この「正のトラウマ」というものは誰も提唱していないのではないかと思いまして、僭越ながら私が患者という立場から提唱するものであります。
 では、この「記憶の結晶」とはなぜ正負問わず「トラウマ」になるのか。まずはそこから探っていきましょう。紙面が少なくなってきたので必然的に次回以降に持ち越しにはなりますが。
 まず、記憶があります。これ自体は、ただの情報です。即ち、本来なら流れ去り記憶からは忘却しうるものであります。しかし、それが繰り返し行われると、人間はその状態を常態だと思い込み、その情報を常時活用するために覚えておこうとします。これは一種の闘争本能や防衛本能の一種だと思いますが、次に同じ状態になったときにより巧く対処するために、記憶するのです。しかし、それが巧くいかない状態が繰り返し行われた場合、記憶の蓄積は行われても、今度は脳回路が異常を来しそれを抹消できなくなります。その当たりは専門家が詳しいとは思いますので、私からは敢えて提唱はいたしませんが。所謂、学習的無力感というもので、これが常態化するとトラウマになってしまいます。こうなると、恐らく原本を何らかの形で患者が納得する形で処分しない限りは、繰り返し想起されて、最悪のケースになるでしょう。それを防ぐにはどうすればよいか。紙面が尽きたので、次回に移りたいと思います。


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