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知性と戦術眼

 皆様ごきげんよう、みっちゃんでございます。
 本日はいつもの連載とは趣向を変えて、気も塞ぎがちな疫病騒ぎを一掃するための割とライトな話を。
 皆様は、何か教養深そうな話しを聞いて頭が良くなった気になるようなことはありますでしょうか。いえ、別にそれが悪いことではないのです。では、なぜそんな気分になるのか。ただのプラセボにすぎないのか、あるいは何かしらの脳作用があるから活性化できてきるのか。答えは後者だと私は思っています。理由として、実際の所教養というのは最早この情報氾濫期に於いて、ただの知識の集まりに過ぎず、言ってしまえば単なる雑学に相違ありません。では、雑学と教養を分ける決定的違いは何か。知識を装備できているかどうかでございます。では、知識を装備するために必要な技術とは何か。それは、雑学的知識を無数の点だとするのならば、教養は謂わば、その点に線分をひっぱるような作業なのであります。点を身につけることは難しいですが、線を身につけることはある程度難易度が軽減されます。ほら、服だって言ってしまえば糸という質量のある線の集合体にすぎないわけですし。では、その線分を引っ張るために必要なことは何か。その知識の背景を知ることであります。例えば、哲学的教養を身につけたいのであれば一冊、本当にどんな軽いものでもいいから哲学書を読んでみる。歴史学的教養を身につけたいのであれば、何かしらのその時代の人物の伝記でも読んでみる。無論、論文である必要はありません。先程も述べましたとおり、最早この情報氾濫期に於いて、教養というものはインターネットの助力なしで会話に箔を付ける程度の値打ちしかありません。とはいえ、面接とは謂わばそれの繰り返しのようなもの。ならば、その場で教養深いと思われた方が採用されやすいのならば、そういったものを、一つ身につけておくと大きな武器になるでしょう。
 では、教養を身につけるには具体的に何をすれば良いのか。それは、その分野の知識と親しくなることです。読書百遍という言葉がありますが、本当に百回も読めば、内容を諳んずることができます。内容を諳んずることができれば、その本の知識は装備できているということです。この時点で、その分野にある雑学は既に教養になっていることに気づくかもしれません。一度方法を覚えたら、あとは簡単ですよね?それを別の分野でも繰り返せば良いのです。それに、百回も読まなくとも普通は十回も読めばどこになにが書いているか当てることが出来ます。その本が教養書だった場合は、明らかに教養深い人物に思わせることが出来るでしょう。
 何も、本当に教養人になる必要はありません。相手をそう思わせることができれば、真実は後からついてきます。え?ボロが出るのが怖い?何も言い張る必要はありません。相手がそう信じた場合、ちょっとのボロならばギャップ萌えと言い張ることができるし、向こうからそう解釈するでしょう。それに、本の内容に興味を持っており、読んだのならば自然と覚えることはできるはずです。
 問題点としては、その本に拘る余りに他の方法を忘れること、つまりは専門バカや杓子定規的な模範生になる可能性ですが、そこまで行ったら本当にその道に進む才能があるということです。誇りましょう。一芸を磨けばさかなクンさんのような食い扶持の稼ぎ方もできます。まあ、そこまで磨く必要はないとは思いますが。
 ちなみに、私が聖書、即ち魔法陣グルグルを通しで読んだ回数は大体覚えているもしくは数えている回数で盛って20回です。意外でしたか?逆に言えば、それだけの回数読めばどんな本でも、大体は頭の中に入ってくるものです。無論、親しむためには対象に好意を持つという前提がつきますが……。
 というわけで、教養人になる方法はその知識の対象を好きになる、親しみを持つという至極当たり前の結論になりましたが、お忘れですか?我々は教養人になるのが目的ではないんですよ?あくまで教養人だと思われたら社会的に有利だから、その程度なんですよ?
 というわけで結論。
 目的と手段を逆さまにしないようにしましょう!
 オチもついたところで本日はこの辺でお開き。お疲れさまでしたっ!


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