PEAKS神戸を修了して
利用可能期間の2年間を使い切る形にはなったが、やっとPEAKSを修了する。
内定先とは服の採寸まで済ませたし、内定祝いにと家族でハンバーグまで食べに行った。
これまですったもんだがあったもんだが、ようやくこの訓練所を修了するのだ。
思えばこの2年間というのは、私にとっても世間にとっても変化の激しい日々だった。
私はうつに片足突っ込んだ状態からなんとか踏みとどまって精神状態を持ち直し、障害需要とやらを課題にしながら問題児ぶりを矯正していき棘をそぎ落としていった。
そして世間ときたら元号が変わったと思ったら世界規模でのパンデミックにみまわれマスクなしでは歩けない未曽有の日々に突入、おまけに経済もあてにしていたインバウンドやオリンピック需要が壊滅でリーマンよりひどい不況に突入してしまったのだ。
そんな不況下でも利用期間の限界間際でなんとか内定がつかめたというのは、自分という人材の厄介さを勘定に入れるとなかなかついていたと思う。
あまつさえ一寸先は闇という言葉の意味を全人類が思い知らされた矢先である手前これからどんな世の中になるかは皆目見当がつかないが、ひとまずはつぶれん程度に働き続けて稼いでいくようにし、その金で親孝行なり老後への貯蓄なりをするつもりだ。
さて、こういった文章を書くからにはこの訓練所での成長やら楽しかったことやらを書くべきだと思うので、ありふれた体裁かもしれないがここらで書いてみることにしよう。
まずこの訓練所で成長したことというのは、今頃すでにアップロードされているであろうブログの内容と被るとは思うが自己理解の深まりや精神の成長である。
この年になって成長なんて言うと変な感じもするが、人間というものは幾つになっても成長するものなのである。
この感じで綴り続けると青二才のくせに説教臭いことを書きそうになるのでここで止めておくが、少なくとも自分はこの訓練所で多少なりとも成長したと感じている。
そして楽しかったことというのは、訓練後の自由時間を別格として訓練所で過ごす時間内に絞って書くと休憩時間などでの他訓練生徒の他愛のない雑談である。
自分は本来そう社交的な人間ではなく、なんなら自分から話しかけるような時以外は放っておいてほしいという性分の人間なのだが、ふと気が向いたときや退屈なときなどにはふらりと他の利用者に話しかけ会話を楽しむこともあった。
その中で私はクイズや言葉のゲームを仕掛けてホスト役に興じたりすることもあったし、世間話や映画の話にゴシップなどくだらない話で盛り上がることもあったのだった。
別に彼らと友人になったとは思っていないしましてや連絡先を教えたりプライベートまで行動を共にしたりするようなことはついになかったが、休憩時間だけでも楽しく会話をできたというのはいい思い出として心の中に残り続けるだろう。
もちろんこの訓練所ではコロナ禍の前に行った遠足やらコロナ禍中ながらマスクをしていったフィールドワークやらがあり、それもそれで知らないところを散策することが楽しいのと共に、普段と違う他訓練生の側面が見られて楽しかった。
もちろん訓練でも楽しかったことはあり、ことに好きな作業だと速さにも正確さにも余裕があったのでどこまで記録を向上させられるかが毎回の楽しみになっていた。
場合によってはそれにプラス要素として丁寧さを加え、文字のサイズや位置を整えて書きいかに見やすく書けるかというさらなるチャレンジを設定して楽しんでいたものだった。
訓練中とその他の時間ともに今思い返しても腹の立つような嫌な思い出というのも多少ありはしたが、別にここに書くようなことでもないし時効もいい所なのでここでは割愛させてもらおう。
最後を謝罪や感謝で締めるというのはなんともベタで恥ずかしいものではあるが、これ以外に締め方が思いつかないしこうしておかないとそれはそれで後悔しそうなので今までの謝辞でこの記事を締めさせてもらおうと思う。
まず所長および訓練所の職員・事務員のみなさん、毎度かんしゃくをおこしたりくだらない物言いで迷惑をかけてしまったりして申し訳ありませんでした。
そして同時にPEAKSという居場所をくれて私を救って頂きありがとうございました。
今の私のありようを語るときにはこの訓練所の存在を欠かすことはできないでしょうし、私が私自身を理解する場としてもここは本当に役に立ったと思います。
2年という期間はなんとも長かったとは思いますが、その間常に鼻つまみ者であった私を見捨てずに変えていってもらえたことがいまの私にはとても嬉しいです。
それから訓練生の皆さん、色々とすみません。
度々びっくりさせてしまったり不愉快にさせてしまったり、自分でもどれほどのやらかしをどれだけやったかは見当がつきません。
それでも何ともなかったかのように接してもらえたあたり、皆さんが寛大な人であるとともに自分もその寛大さに無意識に甘えていたんだろうなと今では思っています。
就職者の集いでまた会うかもしれませんが、その際には今と変わらん形で接してもらえると嬉しいです。
ハローワークや相談支援事業所の人たちにも、ここでお礼を申し上げたいと思います。
なぜなら、私のことをあれほどまで気にかけてくれていたのですから。
そして何より、この2年間のみならず今までずっと迷惑をかけてきた私の家族に。
自分の無鉄砲さで物心つく前から迷惑をかけてきましたが、ここへきてやっとのことである程度ではあるものの大人になれた気がしています。
私はここへきて、より一層自分の家族をありがたく、そして誇らしく思っています。
最後になりますが、就職先への謝辞はここにはあえて書きません。
なぜならこれからの自分の働きぶりで、その感謝を伝えたいからです。