職場実習で思うこと その2
11月18日から20日までの3日間、公園管理の事業所の就労体験に参加した。
私は昔から自然に親しんでいたこともあり外で自然に携わる仕事にも関心があった。そこで担当の職員さんに紹介されたのがこの度の公園管理を行う事業所だった。詳しく伺うと園内の管理を中心に苗植えや植木の剪定(せんてい)が体験可能だとのことで、その業務内容に惹かれて参加を決断した。
業務の内訳であるが18日と19日は除草作業や植木の剪定、落葉の清掃や種子の採集を、20日は屋内での事務作業や現場の点検、園内の見回りをと、幅広い種類の業務に携わらせて頂いた。
個人的に意外に思ったのが、公園管理は外での作業のみならず屋内での事務作業も多くあるということだ。作業員さんに伺うと野外と屋内の業務の比率は5対5であるという。当初私は、今回の職場ではPEAKSで学んだ事務的な能力を活かせる機会はほとんどないだろうなという認識でいたが、それは大きな誤りだったようだ。やはり何事も学んでおくものである。
本稿では業務で特に印象に残った植木の剪定作業と落葉清掃の作業の様子や感想を綴りたいと思う。
剪定とは、植木の枝を切って形を整えたり成長を促したり虫害を予防したりする行為のことである。加えて公園においては園内の安全性の向上も剪定の重要な目的となっている。例えば柵や手すりの向こう側に植木がある場合、こちら側にはみ出した枝葉が何かの拍子に公園の利用者の身体を傷つける危険性があるので、そのような枝葉は切る必要がある。過去に起こった例だと、園内(今回私が赴いた公園とは別の公園)を走り回っていた子供の目に直撃して失明してしまうという痛ましい事故があった。そのような事故の発生を抑制するためにも日頃からの剪定を怠らないことが大切なのである。
私は今回、実際に剪定作業を行いその基本を学んだ。
まずは作業員さんから基礎的な剪定技法を実演も交えてご教授頂く。朽ちた枝や不格好な枝葉、危険な枝葉や成長を阻害する枝葉など、切り落とすべき枝葉の例を示され、手際よく切り落とされる。大方教わった後早速私も剪定に取り掛かるのだが、本当にここをこのように切ってしまってもいいのだろうかと、イマイチ自分の判断に自信が持てない。そのうえよく育った枝葉を切り落とすのは何だか忍びない気がして中々切ることができない。PEAKSでのランの植え替えのときも同様だったのだが、どうやら私は植物を切るという行為において些か慎重になってしまうきらいがあるようだ。しかしそんなことでは作業は遅々として進歩しないので、作業員さんの剪定の様子をチラ見しつつ見様見真似で大胆に切ってみる。途中で作業員さんからアドバイスも頂き、徐々に感覚を掴んでいく。次第に要領を得て、作業がスムーズになる。すると作業にも熱が入り、あっという間に剪定作業の時間が終了した。改めて自分が剪定した植木を見返してみる。果たしてこれで正しいのだろうかと不安になるが、散髪を終えた後のようにさっぱりした姿形に満足感を覚え、その不安も多少は和らいだ。
剪定作業をしていると、とある植物に苦労させられる。植物の名を「ヌスビトハギ」といい、衣服などに付着することで知られるいわゆる「ひっつき虫」と呼ばれる種子をつくる。種子の表皮は細かいかぎ状の毛でびっしりと覆われており、これによって種子はマジックテープのように衣服に付着するのである。(余談だがマジックテープはひっつき虫から着想を得て発明された。)ヌスビトハギは繁殖力が高く園内のいたる場所で繁茂するので、剪定作業のために茂みや生垣、花壇に分け入ると、知らず知らずのうちに大量のひっつき虫が衣服に付着していたということが度々あった。私は黒地のズボンが履いていたためによく目立ち、中々取り外せないのでとても苦労させられた。
ヌスビトハギで印象的だったのは、作業員の皆様方の反応である。作業員の皆様方はひっつき虫に悪態づきはするものの、目の敵にして嫌うようなことはなく、むしろ私には翻弄されることを楽しんでいるようにも見受けられたのだ。このヌスビトハギの件に限らず、作業員の皆様方は一事が万事このような雰囲気で業務に取り組んでおられた。もちろん仕事に向き合う姿勢は真剣そのものではあるが、同時に落ち着きと余裕を持ち合わせておれるのである。力んで空回りすることもある自分としては是非とも見習うべき姿勢である。
秋も深まりいよいよ冬が近づくこの時期、路上に降り積もる落葉は膨大である。我々はその清掃にあたったのだが、清掃した区域の落葉を大方かき集めるのには多大な労力を必要とした。
落葉清掃には落ち葉かきの他に「ブロワー」と呼ばれる専用の掃除機が用いられる。ガソリンを注入してエンジンを駆動させ、風を送り出して路上の落葉やごみを吹き飛ばし隅に追いやるのだ。私は、街頭などで使用されている様を時折見かけることはあっても実際に自分が使用するのは初めての経験だった。作業員の皆様方はブロワーを片手で軽々と扱っていられたので私も倣って片手で持ってみるのだが、存外重い。結局は両手で支えながら持つことになり、想像とのギャップに落胆し、自身の筋力不足を痛感するのだった。
我々が落葉清掃にあたった道は「桜の道」と呼ばれ、その名前の通りサクラが多く植林されている。しかしどうやら途中からブナの木も混在してきたらしく、坂を下るにつれ落葉に混じってどんぐりも見受けられるようになってくる。落葉をかき分けると下からどんぐりの層が現れ、それが雪崩となってゴロゴロと坂を転がり落ちる。子供にとってはさぞや目を輝かせる光景なのだろうが、私としては溜息をつきたくなる光景である。どんぐりは落葉に比べ重量があるためブロワーでは思うように吹き飛ばせず、落ち葉かきにしても一層力を籠める必要があって大変な思いをするのだ。
慣れない作業に私は途中でへとへとになってしまい、気力を絞らなければ思うように体を動かせないという有様だった。一方で作業員の皆様方はというと、私とは親と子以上に歳が離れた方ばかりであるにも関わらず、テキパキと要領よく、年齢を感じさせない見事な働きぶりだった。私は驚かされ、自分と従業員の皆様方との違いは何なのだろうかと考えずにはいられなかった。
作業がひと段落して休憩に入り、石垣に腰を下ろして辺りの音に耳を傾けたり遠くの景色を見やったりしていると、疲れが癒されるばかりでなく、健やかな気分になる。生きているという実感が湧き、しばし感慨に浸る。就労体験の本筋とは少しばかり逸れるが、このようなささやかな実感を体験できたことも、今回の実習の大きな収穫だったと私は確信している。
目まぐるしく変容を繰り返すこの現代社会、殊に今年は新型コロナウイルスの影響でソーシャルディスタンスやら三密の回避やら新しい生活様式やら、何かと人との距離感に神経質にならざるを得ないご時世ではあるが、公園ではその緊張からも多少は解放されリラックスできるひと時を過ごすことができるのだ。そしてその市民の憩いの場に欠かせない仕事こそが、今回私が体験させて頂いた管理業務に他ならない。
公園の管理は自然と人間とのイタチごっこである。手入れをしてもしばらくもすればたちまち雑草は息を吹き返し、植木は自己主張を始め、落葉は絨毯をこしらえる。我々が落葉清掃した「桜の道」は毛を刈られた羊のようにすっきりした風情になったが、3、4日も経てば元通りになるという。その実情にとある作業員さんは、清掃する意味があるのやらないのやら、と呟いておられたが、私としてはやる意味は確実にあると思う。手つかずのまま放置を続けると、原始に回帰しようとする自然の作用によりやがて公園は荒れ放題になってしまう。園内の人目につかず管理の行き届いていない場所はまさにそのような風情で、人の空間に自然が添えられているというよりは、自然の中に人の痕跡が伺えるという有様なのだ。それはそれで趣があるのだが、その様を公園に求めるのはお門違いであると思う。やはり公園は人の管理が行き届いていて、市民が安心して気持ちよく利用できる憩いの場としてあるべきで、それにはこまめな管理が欠かせないのだ。
公園の管理は地味な仕事である、ととある作業員さんは仰られた。確かに往来を繰り返す路上の傍らで黙々と除草に剪定に清掃に取り組む姿に派手さはないが、一方でこの仕事なくして公園の景観が保たれないのも事実であるのだ。ふと何げなく訪れた名前も知らない公園でも、誰かしらによって何かしらの手入れが施されている、一見しただけでは目立たなくても、そこには人の努力の跡が確実に存在している。このことを、今回の就労体験で強く意識するようになった。
長々と語ってしまったが、私は今回の実習に参加できたことを喜びたい。そしてコロナウイルスで落ち着かない世情にも関わらず、快く就労体験を受け入れて下さった事業所の皆様方に心から感謝したいと思う。